イイ人「戦略」。
私はおそらく、イイ人と言われる部類と思われれる。
一年ほど前、地元のお祭の片付けの際、現場に向かうトラックの車内にて職場のパートさんを助手席に乗せていた時の事。
ふと、私のスマホに電話がかかってきた。
親戚の嫁さんからの電話で、以前からちょくちょく親交のある人だった。
その彼女からお祭りで売ってるドーナツを一袋、買ってくれないか、と頼まれたのだ。
私は、断る理由も無いので、「いいすっよー」と返答して電話を切ったのだが、
隣に座っていたパートさんから一言
「マー君は断れんもんねー」としみじみ言われたのだ。
個人的には断る理由も無い事を、断る必要が無いので、引き受けるのだが、どうもその他の方々は感性が違うらしい。
メンドクサイ、という理由は結構断る理由と化すらしく、また、それは人に頼む理由にもなりやすい。
ところで、『時間割引率』というのをご存知だろうか。
これは、行動経済学で使われるアイディアで、「将来の価値をどれだけ割り引いて意思決定を行うのか?」の割合を意味する。
例えば、「今、10,000円手に入る」場合と、「一年後に、11,000円手に入る」場合ならば、どちらを選ぶかと、問われ10,000円を選んだとしよう。
方程式にすると、「11,000円÷X=10,000万円」なので、一年間の割引率は10%。
つまり、年に1割もの利益を捨てて、今の10,000円を選んだ訳だ。
この数字からわかることは、「あなたが現在と未来、どちらに重きを置いているか?」という事。
すなわち、時間割引率が高い人ほど現在の価値も高く、悪く言えば「短絡的」、良く言えば「今を生きている」事になる。
私は、断然、一年後の11,000円を選ぶ自信がある。
なんせ、10,000円くらいなら自費で出せるし、一年後に死んでいる心配もないからだ。
なぜ、この話を持ってきたかと言うと、イイ人っていうのは、これなんじゃないのか?と考えた訳だ。
どういうことかと言うと、
ドーナツを買うのを断って、「今、自分の少々の時間を得る」のと
ドーナツを買って上げて、「この先、何かの時に頼み事をしやすくなるのではないか?」という不確定の利益を天秤にかけているのではないか、という事。
昔の言葉で言えば、『情けは人の為ならず』であり、どちらの利益も自分からすれば不確定なのだ。
今、少々の時間と手間を惜しむ事に何か意味はあるのか、信頼やつながりがなくなるのでは無いか、難しい課題ではないのではないか、
などと、時間軸上の逡巡でなく、抽象的な面としてパッと不安がよぎる。
結果、未来の不確定な利益に重きを置いた判断をするのだ。
では、イイ人で不利益を被る事とはどういう事か。
それは、その未来の不確定な利益の為に獲得した「信頼」やら「つながり」が面倒を呼び込む事である。
職場に中の良い、常雇員の女の人がいるのだが、その人の溌剌とした人間性に好感もあり、なんなりと手伝う事や引き受ける事が多かったのだ。
こちらも率先して助力になりたかったし、プライベートでも彼女の属するサークルなどでお世話になっているので、その時はよかったのだが、
私の部所が変わって、仕事でもプライベートでも接点が少なくなっているにもかかわらず、ある事を頼まれた時に
「え、そこ?」と思ったのである。
それは、もう私が脱退したサークル事を頼んでくる時である。
なんともしれないが、あんたそこ通るんだから、いそがしいからやっといてー、的な事である
私の心が狭いのか、なんとなしの違和感が拭えないもので、
それが伝わったのか、最近はそういった事もなくなったのだが。
その時に思ったのが、「なんの目的も無しに人と関わるのって、損じゃね?」であった。
岡田斗司夫というオタク評論家が、人生は『イイ人戦略』で行った方が捗る、と言っていたが、なるほど。
人生が捗るのはイイ人を『戦略』として用いている人であって、そこには当然、イイ人を表現する先の『目的』があるのだ。
それは、例えば、『モテる』とか『社内での評価が上がる』とか『人に話しかけられやすくなる』とかだ。
そのイイ人という表現が結ぶ縁を、どれだけ自分が利用できるのか、と言う所に
『イイ人』が良い人生を送るか、悪い人生を送るか、の天秤となると感じたのだ。
ここで、自分に立ち返る。
そもそも、人に提供しない自分の時間だけでは、未来の人生を豊かに出来ないと考えているからこその判断で、
それが自分の『戦略』であったはずだ。
しかし、ここで自分の時間を提供する事が必ずしもメリットになるわけではないという、わかりきった事を学習する訳だ。
なので、先日書いたように、根本的に自分の時間の使い方を精査しなければならない。
提供する時間には『目的意識』を持ち、
自分の時間に置いては『潰す』のでなく、『使う』ということだ。
月並みですが、これから頑張ろう、ゆーこっちゃ。
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