■専務 「私は仕事にそんなに充実を求めてないですよ(笑)」から考える、将来の夢
一ヶ月前くらいだろうか
知人から紹介を受けた女の子をデートに誘おうと思って電話した時の事。
年末年始の仕事について、「今の時期忙しいんじゃない?」と尋ねると
意外にも、そうではない感じのリアクション。
その一連の会話の中でこんな言葉を彼女は発した。
「私は仕事にそんなに充実を求めてないですよ(笑)」
この言葉、どこかで聞いた事あるぞ、と思ったら
ああ、確かこの前、寿退社した女性も似たような事を言っていた。
もう何年も前の会話の内容だからうろ覚えだが、内容は
「わたしは仕事は別にそんなに大事じゃない、なんならテキトーでもいい
それより、自分の人生(つまり、休日)を充実させたい」
こんな感じの事を言っていた。
現在私は32歳だが
その当時、27歳ぐらいでそれを聞き
「なんか無責任な女だなあ。
まあ、田舎の職場の雇員だし、職員でもないし
大企業とかで働く以外の女の人って、大抵こんなもんなのかな
男とは考えが違うんだろ」
と感じていたのを覚えている。
今の職場には、確か21歳ぐらいから入社し、今で10年ほどになる。
若い頃の僕、特に25歳ぐらいまでは、今よりもはるかに現実の世界に対し萎縮傾向があり、そして同時にある種の固定観念を職業に抱いていた気がする。
「仕事を頑張っていれば、プライベートも充実するはずだ。一人前の人間になっていることであろう。」
仕事の人間関係で切磋琢磨しあい、その試行錯誤の中で成長すると思っていた。
さらに言えば、頑張ると言っても、クリエイティブな仕事をしているわけではない。
現場仕事なので、来たものを捌く、といったものである。
まあ、それなりに頑張っていたし、それなりに成長もしただろうが、
地元の人不足で入った会社で、ただ日々の仕事を漫然とこなしてしていた、と言えない事もない。
正直27歳ぐらいまで、本当にプライベート(休日の過ごし方)というものを考えてなかったのではないだろうか?
じゃあ、何を考えていたのかといえば、仕事だった。
それは、今の仕事でどう昇進するか、会社をどう発展させるか、
とか言う実直なものではなく
まだ、漠然と高校やら大学やらの就職活動時代の標語が頭にリフレインしており
「やりたい事を仕事に!」という文面から想像されるあらゆる可能性を空想していた気がする。
正直、今でも若干その気はあるが。
年齢を重ねる毎に薄れていってしまっている妄想力は、
まだまだ人より強い傾向であり、まあ一人っ子の思考法であり、生理的な習性でもあろう。
空想的であって実践的でない。
理想主義であって現実主義ではない。
キャンパスを持たないだけで、頭の中は「将来の夢」が彩っている。
でも、「将来の夢」とはなんなのだろう。
ここで、今回ブログのタイトルがボディブローのように効いてくる。
この歳になって、やっと、
無意識レベルで「将来」というものを「職業」のことを中心に考えていた固定観念の枠に気づいたのである。
「現代に子供将来の夢ベスト10!!」なんていうTVなんかの番組で
「息子の将来の夢はユーチューバーで将来が心配ですぅ」とか
「最近は野球選手はランキングにははいらないですねえ」とか
「夢があるね、宇宙飛行士だってさ」とか
将来の夢=職業
の事だと考えていた。
でも、大人になって周囲の人間に将来何してたい?なんて聞くと
「お金持ちになって海外で暮らしたい」とか
「畑でも持って自家栽培農園しながら悠々自適に歳を取りたい」とか
「あと10年で子供が自立するだろうから、年金で温泉旅行でも行きたいな」とか言う。
「宝くじ当てて仕事やめてたい」やら
「70ぐらいで死にたいね、親の介護してたらもう迷惑かけてまで長生きはしたいくないわ」なんてものある。
職業が夢なんてのはもう、キャリア志向でもない30歳もなった大人が言うにはちゃんちゃらおかしいのかもしれない。
もっと言えば、大人になって将来の夢が職業なんてのは、
権威好きとか、肩書好きとかの人が主流になっているのだろう。
そして今、実際の仕事にも現実の限界を感じてもいる。
そうなって来ると、そこで初めて自分のプライベートの充実ってなんだっけ?と強く考えるようになった。
僕は幸いな事に4年前の新年の抱負で、「今年は例年以上に飲み会を断らないようにしよう」となんとなく考え、飲み会に行く数を増やしてみた。
すると、10歳上の男の先輩と仲良くなって、よく飲みや遊びに誘われるようになった。
それが、プライベートをより彩りを持って考えるのに役立っている。
将来=仕事 だけではない
将来には女性関係に始まり家族関係に発展する部分もあるし
将来には趣味関係もあり、人生に深みを増してくれる
将来には交流関係もあり、社会とのつながりや、社会の中での意味感や立場を生み出してくれる
他にも、金とか住居とか、健康とかもあるのだろう
将来の夢は、職業の他はただの付属品や装飾品ではないのである。
それを、理念や想像でなく、日常の生活で実感するようになってきた。
これからは、概念的なもので理想を描くのでなく
ビジュアルイメージとして描いていく楽しさを優先していこうじゃないか。
そう、楽しさとか、嬉しさとか
そういう感情的な部分で判断することが今まで欠如していたような気がする。
今度はその感情的な部分を大事にする事にしよう。
頭の中の雲になっていた「将来」に翻弄されて、
ないがしろになっていた「今」が有意義なものになっていく事だろう。
今年の目標は、空想の「可能性ある将来」を捨てて
眼の前の「実現可能で進歩感のあるイベント」に着手するつもりである。
これからは失敗や成功にとらわれない、挑戦する自由を謳歌できるだろう。
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